【男のロン毛】ロン毛になるまで
こんにちは。
今日はロン毛になるまでについての話です。
きっかけ
元々60'sから90'sのロックが好きで、それに影響された現代のミュージシャンも好きなのですが、その人たちに共通していること、それはロン毛
ロン毛を見ているうちに男のロン毛ってかっこいいな。俺も伸ばしたいなと思っていました。
ですが、やっぱり似合わないことを懸念してずっと切っていました。伸ばしたいと思っては切ってを3回ほど繰り返した時。こんなに思うなら伸ばして似合わなかったり気持ち悪くなったりしても後悔しないと確信しました。
そして日本縦断の旅に出て切るタイミングを失ったことをきっかけに2019年6月から伸ばし始めました。
圧倒的な批判
伸ばし始めて4か月か5か月が経ったころ、周りの人が全員僕を見て
「髪長すぎ」「絶対切った方がいい」「その髪型やめたほうがいいで」「何で伸ばしてるん」「浮浪者みたい」
批判の嵐でした。認めてくれる人は一人もおらず、全員が苦笑いで引いていました。
メンタルくらいますが、ここで切ったらロン毛の自分を見ることもなくただ無駄に否定されただけ。そんなのは絶対に納得できない。むしろ後悔する。
そう思い、誰になんと言われようとも伸ばすと心に誓いました。
周りからの評価が変わり始める
それから一か月か二か月が経ったころ、否定してきていた人たちの中でだんだんと僕のロン毛が定着してきました。
「髪伸びたな」「別にいいんちゃう」ぐらいの反応になっていき、もう否定されることもなくなりました。
久しぶりに会う友達は「めっちゃ変わったな!そっちの方が良いで」「雰囲気が出てる」と言ってくれるぐらいまで評価が上がりました。
ロン毛の楽しみ
また、黒髪ロングは和服のテイストが入った服がとても似合います。
ファッションが最高に楽しくなりました。ロン毛にしてから雰囲気が出るので服もより着てて楽しくなり、お店の人からも顔を覚えてもらえるようになりました。
例えば、初めてお店に行って、その一か月後に2回目行くと、「あ、この前来てくれましたよね」と話しかけられるぐらい。
それぐらい男のロン毛はインパクトが強いです。最高です。最高に楽しいです。
メリット、デメリット
ロン毛のメリット、デメリットをまとめると
メリット
- 圧倒的マイノリティ。人と被らない。
- すぐに覚えてもらえる
- 年上に見られる
- 服が似合う。雰囲気が出る。
- 旅人感が出る
- 男ウケがいい。ファッション、音楽、映画などのカルチャー好きからのウケも良い。
デメリット
- 女子ウケが悪い
- 結んでると陶芸家みたいと言われる
- 「伸ばしてるん?」と聞かれ「伸ばしてる」と言うと苦笑いされる
- 家族に会うと「いつ切るん?」と言われる
- 伸ばしかけが批判の嵐でメンタルくらう
まとめ
元は前髪が眉毛ぐらい、えりあしは短め。今は伸ばし始めて10か月半ぐらいで前髪はアゴぐらい、えりあしは肩ぐらい。
まだ中途半端な長さなのでこれからも伸ばします。
ロン毛にして良かったと心から思っています。ロン毛ライフは楽しいです。
【自転車旅エピソード】家から富士山の麓まで往復ツアー vol.2
続きまして。三日目、同じ道を通りたくなかったのでおじさんが教えてくれた海沿いのきれいな道で帰る。
走り出して気づいたこと、いや、行きの時から薄々感づいていたこと。
向かい風きッッッつ!
全然進まない。二日連続で200km以上漕いだこと、クロスバイクだからずっと姿勢が同じで、サドルに座れなくなるほどお尻が痛いことが重なって夕方ぐらいに自転車から降りました。心が折れたのです。
その時に自転車の後ろのカバンの中からアンパンが出てきました。昨日おじさんにもらったアンパンです。疲労から無意識で貪ると、細胞が喜んでいる感覚でした。
力が湧いて「よし、今日も200km漕ごう。絶対に。」と思いました。おじさんありがとうと感謝しながら何にもない道をひたすら漕ぎました。
18時で暗くなっているのにまだ60㎞も残っている。きついなぁ。でも漕いでれば必ずゴールできるので無心で漕ぎ続けました。
22時、泊まる予定の道の駅に到着。3日連続で荷物背負ってクロスバイクで200km以上走り続けたら、気づいたら寝てました。
朝起きたら自分の財布が外に置いてありました。いつもは寝袋の中に入れて寝るのに、その日は疲れすぎて寝袋の外に出したまま眠ってしまっていました。
そのまま走り出して水がなくなったので買いに行くと財布の中身が2千円しかない。
あれ?え?あれ? こんな少なかったっけ?
考えました。あ、寝袋の外に出して寝てたから盗られたんや。しかも1万円。
貧乏旅をしていて所持金1万五千円で出発して、節約したのに1万円盗られてあと二日を2千円で過ごさないといけない。なんやこれ。
それから走っている間も放心状態でした。
その日は160kmでもう終わりにしました。
その前にも信号待ちしてたら中国人のおじいさんに英語で話しかけられて話してるうちにメールアドレス交換したり。色々あったな~と思って160km地点の道の駅でテントはって寝ようとしたら、飲み会をしているお姉さんとおじさんと子どもたちに話しかけられました。
一言目は 「お兄さん何か飲みます?」
僕の返事は「あ、はい。」
最高です。最高のファーストコンタクトだと思います。
全くどこの誰かもわからない人同士が一言目から「酒飲もうぜ」って飲み会スタート。
話しかけてくれた人はお母さんで子ども二人連れて車でちょっと旅してる。おじさんは網走から熊本まで電車で旅行して、熊本で貴重品失くしたからヒッチハイクと歩きで網走まで帰ろうとしてる途中。僕は自転車で富士山見に行ってその帰り。
場所は三重県。旅人3人が偶然居合わせて始まった飲み会。全員クレイジー。最高。
そのお母さんはバイク(88年製のホンダNSR)で峠せめたり、20歳のころは一人でヒッチハイクで日本中周ってたり。そんな人が僕の旅トークを聞いて、「自分の息子たちもお兄さんみたいな人に育ってほしい。」と言われました。正直嬉しかったです。
おじさんはもう疲れたからと言って眠りにつきました。そんな感じで色々話してるとお酒も周り、お母さんが「あのおじさんの寝てるとこ見に行きません?」と言い見に行くと、お母さんはニヤニヤしながら寝ているおじさんのお腹の上にドカッと座りました。
おじさんは「うぅぅ」「おい、冗談じゃ済まねえぞ」ブチ切れました。
さっきまで仲良く話してたのにブチ切れて「一発殴らせろ」と言い出しました。
お母さんは「本当にごめんなさい」と何度か謝っておじさんの怒りを鎮め場はおさまりました。
そこでお母さんは一言「あの人やばくないですか?」
「いや、あなたもやばいです」
全員眠りにつき、朝起きたらおじさんはいなくなっており、お母さんに挨拶していただいた食べ物を朝ごはんと昼ごはんにして無事に2千円使いきらずに帰ることができました。
【自転車旅エピソード】家から富士山の麓まで往復ツアー vol.1
これは自分の中で最も濃かったツアーの1つです。
始まりは2018年3月。家から鹿児島まで自転車で行って四国通りながら帰ってくるツアーを18日間ほどかけてした後、物足りなくなり、友達に相談したら、「東行ったことないから東に行きーや」と言われたことがきっかけです。
なるほど、確かに東に行ったことないから行ってみよう。休みの日は6日間。東と言えど、どこまで行こうかと考えたところ、6日間で行って帰ってこられるのは静岡ぐらいだろう。なら富士山を1度も見たことがなかったので富士山を見に行こうと考えました。
地図で見る限り、家から富士山の麓までは400km程度。「よし、2日で行こう」
1日目と2日目の宿を適当な道の駅に決めて、いざ出発。
さあ、初めての一人旅。ワクワク。伊賀越えのルートで静かで穏やかな道を通りながら1日目は予定通り愛知県安城市まで行けました。かかった費用1000円。
2日目、朝7時出発。愛知を抜けて静岡に入り、ふと横を新幹線が走ったときに、漕げば漕ぐほど帰りの距離が伸びることを体感して「うわ、しんど。」と思いました。
しかも今日中に富士山まで行かなあかん。しんど。このペースでは間に合わないかもしれない。バイパスばっかりで自転車通れないし、しんど。
言ってても仕方がないので夕方ぐらいからペースを上げてゴリゴリ漕ぎました。静岡市に入るともうすでに日は沈んでいて、夜中に到着かな~という感じ。
静岡市をもうすぐ抜けるぐらいの時に道路わきに止まっていた車の中から
「ちょっとお兄さん!」
声がしたので、え、何?と思って振り返ると、おじさんが手招きしている。
引き返してその人のもとへ行くと、「この道もうすぐで自転車通れなくなるよ。バイパスを回避する道を教えるよ。」と言われ、回避ルートを教えていただき、助けてくれました。
そこで色々話していて、僕が19歳と言うと、「俺の息子より若ぇや!」と言われ、その時持っていたパンや風呂のタダ券をくれて一緒に風呂に入りました。
風呂で色々教えてもらったり、語り合って救われました。
そこでお別れして夜中の3時から富士宮市まで漕いで朝の6時ぐらいに富士山を見ました。眠すぎて、眠すぎてもう無理と思ったので富士宮駅のロータリーで朝の6時半からマット敷いて寝袋入ってテントも張らずに眠りに落ちました。
目が覚めると9時半。昨晩おじさんに教えてもらった富士宮焼きそばのお店に行ってそこのお母さんに富士宮焼きそばの歴史や、色々行くべき場所を教えてもらいました。
周り終わると12時。雪を被った富士山と桜を楽しんで帰路につきました。
終わりかと思えば、帰り道で更なる事件が。。。
続く。
【自転車旅エピソード】原点の原点
こんにちは、前回と前々回の記事は初めての旅について書きました。それらは自転車旅の原点と言えますが、もっと前に僕の自転車旅の源がありました。
今日はその原点の原点について書きます。
始まり
それは、中学2年生(13歳)の頃です。僕はサッカー部だったのですが、部活の友達たちと「学校からのびのびパスポート配られるけど、どれも遠いから行けないよな~」と話していました。その時に一人が「今度のびのびパスポート使いに須磨水族館行こう」と言い出しました。
ここで、のびのびパスポートとは兵庫県の小中学生に配られる無料で県内の施設に入れるチケットのようなものです。
電車だと、お金がかかるのでのびのびパスポートの意味がないと考え、自転車で行くことにしました。こうして道も分からないのに中学生10人ほどで旅立つことになったのです。
出発
道も分からなければ何時間かかるかもわからないので、朝4時に友達の家の前に集まって、冒険が始まりました。
スマホもなく、地図も持たず、感覚だけで進み続けました。何時間も何時間も漕ぎ続けていつになったら着くのかも分からず、中学生の僕たちにとってそれはそれは壮絶でした。
到着
神戸に入ってからは道行く人に「須磨ってどこですか!どの道走ればいいですか!」と何度も尋ねて、ようやく昼頃に須磨水族館にたどり着きました。
感動でした。
気づけば遠回りを重ね、片道で50kmほど走っていました。しかも全員変速機なしのママチャリで。中学生ならではの冒険という感じです。
それでも僕たちは元気でした。しんどくて寝れてなくて行きだけでかなり疲れたけど初めての達成感と自分たちの足でゴールに着いた感覚が楽しくて仕方なかったです。
初めて自転車で海を見ました。須磨の海岸でも遊んで、本当に楽しい遊びを見つけました。これからも色んな所に行きたいと思ったし、ワクワクが止まらなかったです。
それから卒業するまでみんなで色んな所に自転車で行きました。
その後
その時のメンバーは今でも大の仲良しです。間違いなく一生の友達だと思います。
さすがにみんなで自転車をこぐことはもうないですが。
全員が個性派過ぎるメンバーでしたが、中でも二人のカリスマが全員をまとめることができ、自然とリーダーになっていました。
そのうちの一人で遊びに特化した方のリーダーはグループでみんなを引っ張って走り、他にも数々の遊びを提案していました。彼とは今でもバイクという手段に進化して一緒に旅することがあります。一緒に北海道全道ツーリングとかもしているのでその話もまた書きます。
彼の少年のような好奇心からの影響もすごいです。尊敬しています。
自転車旅の原点の原点でした。
【自転車旅エピソード】初登山で感動
こんにちは、山田です。
前回に引き続き、18歳の夏の自転車旅エピソードです。
新潟で先輩と集合して3人で北アルプスの白馬岳を登ろうという話になりました。
自転車で舗装路が続く限り登り続け、丸一日経ってようやく舗装路がなくなりました。そこで先輩のおごりで買ってきていた食材で自炊をして、テントを張り、眠りました。
次の日八時に起きて歩いて登り始めたのですが、3日間大阪から新潟まで450kmほど漕いで、その後一日中坂道を登っていたので想像以上に疲労がたまっており、登山道を歩くのがしんどくてたまりませんでした。
しかし、森林限界に到達して視界が開けたときに今まで全く見たことのない絶景で、言葉で表せないほどの感動に包まれました。そこに到達するまでの苦労が相まって本当に感動しました。景色で感動するという経験は初めてでした。写真を載せておきます。
先輩に誘われて登った山ですが、前もって写真で景色を見ていなかったため、本当に見たことがない景色で素晴らしかったです。忘れられなくなりました。
これが僕が山を好きになった瞬間です。
誘ってくれた先輩に心の底から感謝しています。
晴天の日本アルプスを登ってハマらない人はいないと思います。
初登山エピソードはこんなところで失礼します。
【自転車旅エピソード】福井県のりゅうさん(仮名)と出会った話
いっぱい好きなことがあるので何から書こうか迷いましたが、僕の一番大きな部分を占めるのが自転車旅なので、自転車旅で初めての印象深い出会いについて書きます。
18歳の夏に新潟まで走りました。
その時、1日目で200kmほど漕いで風呂に入りました。すごく疲れていたことと、露天風呂から見える水平線と海に浮かぶ漁火(イカ漁に用いる漁船の明かり)が綺麗だったこともあり「今まで入った温泉の中で一番の温泉や」と一緒に旅していた友達と話していました。それを聞いたおじいさん(りゅうさん)が「どこから来たの?」と話しかけてきて、大阪から自転車で来たこと、道の駅でテント泊することを話しました。
りゅうさんは旅人を家に泊めたりもしていたそうですが、僕たちが18歳だったので苦労しなさいということで、今夜はテントで寝て時間があったら明日の朝家に来るように言われました。
その晩寝る準備をしていたら道の駅にりゅうさん夫妻が来て、お菓子やカニ飯のおにぎりなどを持ってきてくれました。食パンでカロリーを摂取していた貧乏旅の僕たちにとって、とてつもなく嬉しい差し入れでした。初めての旅で初めて厚意に触れた僕たちは感動して明日の朝絶対お家に行ってお礼を言おうと話して寝ました。
次の日の朝、お家にお邪魔して朝ごはんをごちそうになったり、これからの旅のために補給食を買ってきてくれたり至れり尽くせりでした。中でもとてもためになったのは新潟までの道のりで危ないところや、通るべき道などを教えていただいたことです。お知り合い(りゅうさん曰く子分)の元トラックの運転手の方もいて、下道にとても詳しく、まるで頭の中に地図があるかのように交差点の名前まで教えてくれました。
他にもりゅうさんのお孫さんと僕たちが同じ大学の同じ学年だったり、後から家に来た漁師の方が「彼女つれてきたら一匹10万円以上の越前ガニ食べさせたる」と言ってくれたり、色んなお話をしました。
一番印象深いお話は「予定は未定にて確定ならず」です。
これは僕たちが新潟で先輩と待ち合わせをしており、それに遅れないように夜中であろうと、親不知という北陸有数の難所を通るつもりと話した時に、りゅうさんが「予定は未定にて確定ならずや」と言いました。一つ二つ年の違う先輩なんて大学生にとっては大きく見えるかもしれないが、大人からすればどちらも大差ない子どもだ。つまり先輩を気にして危険を冒してまで予定通りにしようとせず、予定を遅らせろ。予定は未定にて確定ならず、確定していないのだから今からでも予定を変えなさい。
この言葉を聞いて確かに先輩と言えど大して年の違わない大学生なのだから必要以上に気を遣わず、友達ぐらいのスタンスでいっても良いと思えて予定をずらしました。
少し視野が広がった瞬間でした。
今日の話はこれで。